歩歩是道場

日々の暮らしが学びの場。小さな一歩を積み重ねていくブログです。

一人の人生を見送って命を意識した話

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幼い頃からお世話になった大伯母が2月18日11時に亡くなり、先日お見送りをしました。

享年93歳です。

亡くなったことの淋しさはありますが、それ以上に、同じ時代を生きてこれたことのありがたさや、多くのことを学ばせてもらったことへの感謝の気持ちを、ひしひしと感じています。

今回は、昭和一桁生まれで戦争も経験し、その後もたくましく生き抜いてきた一人の人生に思いを巡らせ、彼女を見送って感じたことを書き留めておきます。

  

 

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彼女の人生

大伯母は、昭和2年、鹿児島県の奄美諸島の一つ、徳之島に生まれました。

戦時中に、鹿児島本土で教員免許を取得し、昭和20年に徳之島で教師としてのキャリアをスタートさせています。

当時は沖縄戦が激しくなり始めた時期でした。

それでも4月はまだ学びを続けられたようで、集落ごとに岩穴に集まっては、枝を使って土や葉っぱに字を書いて学習していました。

ところが、5月、6月、7月と進むに連れて、徳之島への攻撃も激しくなり、周りの方が亡くなることもあったようです。

終戦後も、徳之島はアメリカ統治下に置かれ、昭和28年の本土復帰までの間、苦しい時代が続きました。

戦争やアメリカ統治下の経験が、その後の彼女の平和への想いの源になっています。

 

教師生活は、徳之島で20年、千葉県で20年送りました。

定年後も、劇作家の大伯父と一緒ににぎやかに暮らしていましたが、ご主人(筆者からみると大伯父)を60代で亡くします。

70歳を過ぎてから、かねてから憧れていた文筆活動を行うために、日本随筆家協会に入会しました。

そのときに出版したエッセイ集が2冊あり、その本を読むことで、筆者自身、大伯母の生きてきた人生や気持ちの揺れ動く様子を少し伺い知ることができます。

戦争中の出来事も、直接話を聞いたのではなく、本から知りました。

 

東京や徳之島で暮らしたのち、晩年は都内の妹夫婦宅に身を寄せ、皆に囲まれる中、眠るように息を引き取りました。

 

厳しさの中にある温かさ

筆者の記憶のある大伯母は、教師を退職されて、ご主人と二人暮らしをされていたころに始まります。

子どものいなかったご夫妻は、親戚の子どもたちを大変可愛がってくださいました。

幼い筆者が遊びに行くたびに、「将来は何になりたいの?」と尋ねては、回答を楽しんでおられました。

 

ケンタッキーフライドチキンをご馳走してもらうのが定番だったのですが、一回だけお寿司をご馳走していただいたことがあります。

その中にウニの軍艦巻きがありました。

ウニの見た目に抵抗感があり一度も食べたことなかったのですが、勇気を出して食べてみたらフワッとした食感やコクを感じ、このときに初めてウニのおいしさを知りました。

それ以来、筆者はすっかりウニ好きです。

 

大伯母が徳之島に住んでいたときに、遊びに行ったこともありました。

ジブリ映画のワンシーンのような、浜辺にある小さな家です。

海で泳いだりヤドカリを見つけて遊んでは、大伯母の家でシャワーを浴びてゆっくりしていました。

その家をおいとまするときには、見えなくなるところまで、ずっと手を振ってくれていた様子を覚えています。

 

筆者が子どもの頃はただかわいがってもらうだけでしたが、筆者に子どもが生まれてからは、諭される機会が増えました。

 

「子どもから目を離したらいかんよ」

←事故にあわないように

 

「かわいいからといって、髪の毛を長くするのはいかんよ」

←髪に栄養がいってしまい体が成長しないから

 

認知症の症状が出て私の名前を忘れても、さすが元教師、そういうところは大変しっかりしていましたね。

言ったことをすぐに忘れるので、何度も何度も諭されてしまいましたが‥。

 

筆者のいとこが結婚の御挨拶で大伯母のところに行ったときには、デニム姿であることを注意をされたようです。

 

歳を重ねても、認知力に衰えが生じても、周囲への温かく厳しい様子がありました。

はっきりとした物言いでしたが、その後ろの温かな心を感じられるから、心地よかったです。

 

終わる命もあれば始まる命も

大伯母が亡くなったことを聞いた日に、友人の甥っ子が産まれた話を聞きました。

普段は特に意識もしない「命」というものを、強く意識する日になりました。

 

自分自身も、過去の人々の命の連鎖の中で誕生し、いつかは死ぬんだな。

そう思うと、今生きていることはありがたいことで、無駄にはできないなと感じます。

 

大伯母のエッセイの中で、命に触れられている文章があったので、少しご紹介します。

植物の葉や花も、美を存分に輝かし、飾り尽くした最後は、それぞれに散って土の中へ入ってむなしく朽ち果てる。

花々の世界も、人間世界を思わせるのであった。

<参考元:『月刊ずいひつ』平成20年9月号(一部抜粋)>

 

大伯母の人生も、存分に輝いていました。 

筆者も自分の人生を自分なりに輝かせられるよう、一歩ずつ、進んでいこうと思います。

 

彼女が亡くなっても、彼女から学んだことは心の中に生きています。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

◇◇◇◇◇

 

今回は、大伯母を見送って感じたことを書き留めました。

別の内容を書く予定でしたが、この気持ちを忘れないうちに記しておこうと思いました。

自分の身近な人が戦争を経験していたことは、頭では理解していたのですが、衝撃的でした。

ほんの少しだけ自分が生まれる時代が早ければ、自分が戦時中に生きていたかもしれないんですよね。

彼女が壮絶な時代にたくましく生きてきたことを思うと、へこたれてはいられません。

 

ところで、大伯母はエッセイ集を出版しましたが、エッセイ集を読んでいて「これってブログと似てる!」と思いました。

暮らしの中で感じたことなどをつづっているのです。

形は違えど、大伯母と似たようなことをやっているんだな。なんだか感慨深いです。