歩歩是道場

日々の暮らしが学びの場。小さな一歩を積み重ねていくブログです。

幼稚園PTA会長のふりかえり#1~話かけやすい状態で居続けること~

ご無沙汰しております。こちらのブログ、ほぼ一年ぶりの更新になります。

三人の子育てをしてきて、いよいよ末娘がこの四月から小学生になりました。朝八時前にはランドセルを背負って出ていってしまう今の生活に、どこかソワソワしてしまいます。

昨年度の一年間は、三人の子どもを通わせてきた園に対し、これまでの恩返しの気持ちから込めて幼稚園のPTA会長を引き受けました。大変な一年でしたが、これからの人生の糧となる、貴重な経験ができました。

ここで、会長として園や保護者と深く関わってきて学んだことや、自分に対しての気づきを、振り返っていきたいと思います。この経験を、これからの人生につなげていくために。

長くなってしまうので、何回かに分けてお届けいたします。

 

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感染対策をしながらできることをやっていく一年

2021年度もコロナ禍で真っただ中であり、一年間を通じて感染者数が急増・急減し、それはそれは振り回されることが多々ありました。子どもたちは自宅待機になることもあったり、行事の規模が縮小されることがありました。

それでも、新型コロナウィルスが流行ったばかりの2020年度よりかは、ずいぶんと色々なことができたと思います。2020年度は一切の保護者参観もありませんでした。行事も中止になっていたので、写真撮影もあまりなく、園内の様子を知るといえば、園配布のお手紙が主だったように思います。

それが、2021年度はコロナの状況でできることはやっていこうと、感染対策を行いながら行事を行ったり、オンラインでの参観、自宅待機期間でのオンライン幼稚園など新しいことを取り入れていきました。過渡期ではありますが、これまでコロナに関して積み重ねてきた情報を元に、今の状況下でできることをやっていこうと、大変挑戦的な一年だったと思います。

新しい取り組みをやっていこうとすると、普段の教育活動を進めていく以上の作業が生じ、園を運営していく教職員の皆さんのご負担は大変であったかと思います。保護者の皆さんも、今しかない幼稚園での思い出を残してあげたいと、コロナ禍でもできることには惜しみなく力を出したい、という気持ちでいてくださいました。

 

目的は皆同じ。考えの違いや行動の違いはどうしてもある。

幼稚園に関わる大人たちは、皆子どもたちのことを思っている人たちばかりです。子どもたちのため、という目的は皆さんに共通しています。ですが、この一年過ごしてきて、感染対策についての解釈は人によって異なり、その解釈から反映される行動も人によって異なってくるなと思いました。誰一人同じ人はいないので、当然といえば当然です。

コロナ禍で様々な行事が中止になったり、保護者の園内作業が制限されることがありました。その園の方針が園から保護者に伝えられたのですが、保護者としてはこれまで我慢してきた子どもたちのことを考えると、もうちょっとできるんじゃないのと納得のいかない方もいらっしゃいました。

また、当園は保護者の出番がとても多い園で、保護者が主体となって行事を行ったり、卒園に向けた活動を進めていきます。そのやり方をなるべく園内作業は行わずに進めてほしいということが、なかなか保護者の皆さんのご負担が大きかったようです。まさに過渡期ならではの課題ですね。

 

間で話を聞く人の大変さを知る

私は、この一年間園と保護者の両者から様々な話を聞いてきました。話を聞いていると、双方とも直接相手に話すわけではないので、相当に強い勢いで話してこられました。それを少しやんわりと相手に伝えるのですが、オブラートに包んだ状態だと相手に真意が伝わらなかいこともありましたね。反発がこちらにくることも。両者の勢いを受け止め続けるのは、精神的にしんどくなる部分でもありました。相手の言い分を正しく伝えられていない自分がいけないのではないかと、責任を感じてしまったり‥。

まさに中間管理職といったところです。幼稚園のお客様相談窓口と言ってもいいかもしれません。会長を引き受けたときに「自分の負担になるまではやらない!楽しめる範囲で仕事をする!」と心に決めてなったのに、ボランティアでありながらメンタルがやられそうになってしまいました。

会長を引き受けるというものは、そういうのもひっくるめたものなのかな。終わってみればなかなかできない貴重な経験だったなと思いますが、大変な時期にいたころは、ストレスで不眠や胃痛になりました。

コロナ禍で特殊なシチュエーションであったからこそ色々な問題が勃発したのかもしれませんが、これまでの歴代の会長さんに、心底尊敬を感謝の念を抱かずにはいられません‥。

 

解決まではできなくても話を聞ける状態でいる

初めての会長職でしたし一年任期だったので、全力でやろうとしすぎていたのかなと思います。何か問題が生じたときに、最初のうちは、お互いの意見からなんとか折衷案を見つけられないだろうか、と挑戦していました。全ての意見に耳を傾け、話し合い、考え、提案し、実施し、解決する、と。

ただ今思うと、そこまではしなくてもよかったようにと思います。話を聞いてみると、解決したいというよりも、共感してもらいたいという気持ちが強いようでした。私が話を聞いたあとに、その人が自ら前に進めていくんですよね。解決までしようと考えていた自分が、ちょっとおこがましかったかなと思いました。本当にいい案があれば話してもいいかもしれませんが、解決はご本人がすることですね。

私が解決できたならばとてもいいことなのですが、皆さん子どもたちへの思いがあって、善意の思いで取り組んでいます。私は話を聞くに留めて、後は皆さん自ら何か答えを見つけて進めていくのを待っていればよかったかなと思います。

「いつでも話ができる」と皆さんに思ってもらえるような自分であり続ける、ということは大切ですね。

 

ゆとりのある状態で居続けること

いつでも話してもよさそうと思える人はどういう人でしょうか。

自分のキャパシティがあったときに、それが溢れそうになるまでしておかない、ということが結構大事だと思いました。いっぱいいっぱいになっていると、うまくいっているときはいいのですが、何か問題がおきたときに、理性より感情が立ってしまうことになりかねません。コロナ禍で密なコミュニケーションが取れない中、たまに話したときに感情が先立ってしまうと、それを挽回する機会を逸してしまうことにもなります。

常にゆとりのある状態でいるということが、とても大切だと思います。

 

実際に、自分が忙しくなりすぎてしまったときには余裕がなくなってしまったことがありましたし、相手側が余裕がなくなっていたときには色々感情的になられていて何も話せないなと感じたこともありました。仕事量が多ければ、誰かできる人にやってもらうか、仕事内容を見直して作業量を減らすなどして、いっぱいいっぱいまでやらないことですね。

ましてやPTA活動は私の生活の中での本業ではありません。あくまで家庭が第一で、その上で、自分の時間を少し子どもたちのために割いてやっていることなので、なおさらゆとりがあることは大切です。

 

そして、色んな話に耳と心を傾けて聞きますが、自分の中に入れすぎないことも大切ですね。自分が苦しくなるまで聞いてしまうと、やはりキャパシティがいっぱいになってしまいます。会長がいっぱいいっぱいになっていると、一緒にやっている役員の皆さんにも火の粉がかかってしまいます。手をあげて一緒にやっていただいている皆さんには、楽しく作業をしていただきたいと思っています。そこは守りたい。

皆さんのために力を注ぎながらも、自分のことも大切にする、そのバランスですね。なかなか難しいことではありますが。

仏教で中庸という言葉があります。やりすぎでもいけない、やらなすぎでもいけない。会長職だけでなく、今後の自分の生活を送る上でも、中庸で居続けることは大切だなと思いました。

 

多くの人と接することができたことに感謝

人の中でやりとりすることは苦労もありましたが、多くの人と話せて、色んな方と知り合えたことは、とても幸せなことだったと思います。コロナ禍でありながら、これだけ多くの人と絆を深められたことは、ありがたいことです。

信頼できる人が自分の住む地域にいらっしゃって、その方たちと一緒に生活や子育てをしていけること実感できたことは、これからこの地域で生きていく上でとても幸せなことだなと思います。

役員の方から「一緒に仕事ができて楽しかった」と声をかけてもらえてとても嬉しかったのですが、私もとても楽しく感じていました。

若い子からツッコミを受けることに喜びを感じたり、ついダジャレを言いたくなってしまうというところに、昔接してきた年上の方々のことを思い出していました。自分もすっかりそうなってる!

 

筆者は淡々とした暮らしでも愉しめるほうなので、会長をしなくてもそれなりによい一年になっていたと思います。

ただ、もし会長を引き受けなかったら、ここまで深く知り合えなかった人もいました。会長になったからこそ素敵な出会いがありました。気力体力のあるタイミングで会長ができて、お祭りのような濃い一年を過ごせてよかったです。

 

◇◇◇◇◇

 

今回は昨年度一年間のPTA会長をやってみて、その仕事から学んだことのふりかえりの第一回目でした。

色んな人と色んな場面で接してきたのですが、人って奥深くて愛おしいですね。大変な状況の真っただ中にいるときは気づく余裕がありませんが、今振り返ってみると人の中にあるおもしろさをジワジワ感じます。

まだまだ気づいたことがあるので、この続きはまた書いていきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。またどうぞよろしくお願いいたします。