幼稚園PTA会長のふりかえり#2~誰とも心地よい距離でいること~
昨年度の一年間は、三人の子どもを通わせてきた園に対し、これまでの恩返しの気持ちから込めて幼稚園のPTA会長を引き受けました。大変な一年でしたが、これからの人生の糧となる、貴重な経験ができました。
そこで、会長として園や保護者と深く関わってきて学んだことや、自分に対しての気づきを、振り返っていきたいと思います。この経験を、これからの人生につなげていくために。
前回は、自分が話しかけられやすい状態であり続けることの大切さについて書きました。
今回は、人との距離感についてです。PTAは私個人の会ではなく、会員皆さんの会になります。なるべく多くの人にとってよい判断ができるように努めていきたいです。そのためには、どなたに対しても適切な距離でいることが必要になってくるなと感じました。
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よくわからず近くなりすぎてしまった
今回会長を引き受けてもいいと思った理由の一つに、人数があまり多くないというところがあります。筆者は多すぎる人数の組織が少し苦手です。一人一人に向き合うことができるくらいの人数であったので、自分でもできるかもと思えました。
話を聞いてほしいという人にはできるかぎり付き合い、時には自分の考えを伝えたり、一緒に考えたりしたりしました。一年任期なので、思いっきり付き合っても十分にやっていけるだろうと思っていました。
うまくいっているときはそれでよいのです。ただ、バランスが崩れるときは一気に崩れてきます。気力体力に任せてとことんやるだけでなく、どこかで慎重さを備えておく必要がありました。
どなたに対しても話を聞いていましたが、人によっては頻度が多くなってきて、その話の内容が誰かを批判するようなものになってきたり、それが過剰になってきたり繰り返しになってきてしまったことがありました。最初のうちは適度に受け流しながら話を聞いていることもできましたが、徐々に私自身も負担になってきました。私が聞くことで、その方が解決策を見つけて次に進めればいいなと思っていたのですが、結局また同じような話を繰り返すことで終わってしまうのです。
次第に、その方は話を聞いてもらうのが癖のようになってしまいました。これはちょっと自分の対応がまずかったなと思いました。どこかで依存させてしまったのだと思います。私自身も心理的な負担があったのか、その方を抱っこしている夢を見ていました。
自分の中で違和感を感じながらも、出来る限り人にとことん付き合っていきたいと思っていたので、しばらく続けていました。ですが、そのうち、その方にとって耳障りのいいことしか言えなくなってきてしまい、本当に適切な意見が言えなくなってきてしまいました。それでは相手のためにも全体のためにもよくありません。
園とは関係のない方に相談させてもらい、自分のことや相手のことを私自身客観視するようにして、依存してきていた人とは少し話す頻度を減らしたりするようにしました。相手は追ってくるかなと思いましたが、そこまでしてくることはありませんでしたね。他に話を聞いてくれそうな人を見つけたかもしれません。
話をたくさん聞いても自分はニュートラルでいられると思っていましたが、それは過信だったかな。途中で気が付いたのでまだ良かったのですが、最初から慎重に進めていけていればより良かったかと思います。
誰とも心地よい距離を保ち続けること
誰ともフラットに、お互いに心地よい距離を保ち続けることは、組織を率いていく上でとても大切とだと思いました。誰かに肩入れしすぎないし、誰も遠く感じさせない。誰とも程よい距離であり続けること。
リーダーになると、あらゆる人たちの色んな面が見えてきます。先ほどのケースのように他の人がちょっと負担に思えてしまったり、自分のドロドロした面を見せてしまって後悔してしまうこともあります。そういうときは、たいていその相手との距離が近すぎているのだと思います。
コロナ禍で外食などのお付き合いがゼロになったことは、会長になった一年ではかえってよかったです。特定の人との濃いお付き合いがあると、その人に肩入れしてしまう要因になりかねません。前項の方のことはありましたが、外食などのお付き合いがなかったおかげで、基本的にはそこまで保護者の噂話に巻き込まれることはありませんでした。また飲み会がなかったので、理性がとんで余計なことを話してしまうということもなかったのはよかったです。
誰でもコップの水があふれてしまいそうになることはありますよね。私もあります。コップの水を溢れてしまい、それが口からでたとしても、話し終えた後にはお互い前に進んでいける気持ちになれるような対話をしていきたいものです。前進まではできなくても、経験をおもしろがって愉快に生きていく、なんてことができれば十分いいなと思います。
誰とも心地よい距離を保ち続けるということは、リーダーという立場でなくても、人と過ごす上ではいいのではないかなと思います。自分が心地よくなければ、一緒にいる相手も心地よく過ごせません。相手も自分も心地よいと思えるペースを保ちながら、共に作業できればいいですね。さらに、お互いに高め合える人づきあいができるならば、それはもう言うことなしです。
うまくいっているときは調子に乗らない
これまで述べたように、リーダーになったときに誰ともほどよい距離感でいて、誰も特別扱いしないようにすることは大切だと思います。それと同じくらいに大切なのは、リーダーになるときは自分のことを特別扱いされないように気を付ける、ということです。つまり、調子に乗らないこと。
調子に乗ってしまうと、色々とうまくいっているように解釈してしまい本当のところが見えなくなってしまい、よい判断ができなくなってしまいます。
我が家の場合は、色んな物事をまず批判的に捉えてみる夫がいるので、彼がある意味いい重石になっていました。これまで考えてきたことに対して色々と意見を言ってくるので「あーもう!!」と思うこともありますが、彼のおかげで調子に乗ることもなく淡々と進めることができました。
特別扱いされないように気を付けることには、色々とやってくれる相手に便宜を図ろうとすることを防ぐ、という意味合いもあります。人間なので、何かやってくれた相手にはお返しをしたくなってしまうものです。
何か判断をするときに、誰か寄りの考えで判断してしまう頭になってしまうのが、あまりよろしくないなと思います。本当の目的のために判断すべきところが、利益をもらった人にとって有利になるような判断をしてしまいがちになってしまいます。政治家が賄賂を禁止するのと同じですね。
特定の方からほめられたりプレゼントを頂いたりしたときには、素直に嬉しいと思いますし、お相手に対しては感謝でいっぱいです。ですが、その状況が積み重なっていったときに決して自分自身が「裸の王様」にはなりませんように。どんなときでも普通がいいです。
筆者は色々考えて自分を制してして普通でいようとしている節がありますが、自然に普通でいられる人って本当に素敵ですね。その境地にいたるまでは、まだまだ精進が必要です。
うまくいかないときは悲観しすぎない
うまくいくときがあれば、当然うまくいかないときもあります。つい自分を責めてしまいがちになりますが、毎日誠実にコツコツ積み重ねてきているならば、悲観しすぎなくて大丈夫です。いつかは明けます。
私自身うまくいかないときがありました。人と話し合い考えに考え抜きましたが、解決にいたらず、当時はどんよりとした負のオーラを放っていたと思います。
ただ、そういうときって、意外なところから救いの手を差し伸べてくれたりするのです。私はそのときに若い子に救われました。人を信じて自分を信じてやってきて、それを見ていてくれて、手を差し伸べてくれた。会長職は一人でできるものではなくて、周囲の人がいてできることなんだなと実感しました。
人のありがたさを感じられたこと、とても貴重な経験でした。
やはりうまくいっているときこそ、気を引き締めて気を付けていかなければならない。うまくいっていないときは、今後上がっていける伸びしろが多いのですから。
リーダーよりサポート役向きかも
リーダーとして色々判断していくうえで、人との適切な距離感は大切だなと思いました。
ただ、私個人としては、悩んでいる人がいたらとことん話して考えていきたいほうです。すごく気になってしまいます。
全体ではOKな判断であっても、誰かがその判断でモヤモヤしていたならば、その個人の人に寄り添いたいなって思うのです。
そういう意味では、私はリーダーとしているよりも、サポート役の方が向いているかもなと思いました。リーダーだからって時折割り切った判断をしたこともありましたが、どこかでジレンマを感じていました。
リーダーでいるにしても、個人個人の思いが積み重なってその結果でチームになるように努めていきたいですね。いろんな場面でリーダーの方はいらっしゃいますが、まとめている人たち、すごいなと思います。そういう判断に慣れてくるものなのかもしれませんね。私はあまり慣れたくないなって思いますが‥。
まあ、何事も経験です。こういう役割をしたことで深い気づきになったことが、大変よかったと思います。
◇◇◇◇◇
PTA会長のふりかえりの第二弾として、人との距離感についてふりかえりました。
前回も出てきたのですが、ここでも中庸の考え方が出てきましたね。
自分の中の状態をいっぱいいっぱいにしないことであったり、人と自分の距離も近づきすぎず遠すぎずであったり。
自然とバランスのとれる人になっていきたいなと思います。