歩歩是道場

日々の暮らしが学びの場。小さな一歩を積み重ねていくブログです。

自分が幸せに感じることの備忘録

 

皆さんそれぞれ、様々なものごとを抱える中、日々時間や気力体力、お金をやりくりして過ごしていることと思います。

筆者自身も、ここ数年は仕事でもプライベートでも抱える役割が格段に多くなってきており、毎日が綱渡りのようです。

自分のキャパシティを超えた課題が続くと、頭の中はストレスでいっぱいになってしまいます。自分にとっての楽しみも思い出せなくなるくらいに。

そこで、今回は、自分が幸せだと感じることを思い出せるように、備忘録を残したいと思います。

備忘録を残さないと忘れちゃうなんて、自分はなんと不器用なんだと思いますね。

 

なお、当ブログは友人と月毎に交代で書いております。今月は筆者みちがお届けします。

 

 

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人との何気ない会話ややりとり

筆者が一番幸せに感じることは、人との何気ない会話ややりとりです。

 

三人の子育てを通じて、地域に知り合いがとても増えました。地域皆で子育てをする雰囲気があり、知り合いにたまたま会ってちょっと会話したくらいでも、とても幸せを感じます。

最近では夫が髪の毛を切ったことが話題になっていました。そんな些細なことを楽しく話せる人が回りにいることは、とてもありがたいことだと思います。

出勤時間を少しずらして、娘の登校時間と一緒になったときのこと。娘の友達や校長先生と挨拶しただけで、その日の朝はとても気分が良かったです。

 

家族には毎日顔を合わせますが、家族で大笑いするときは特に幸せを感じます。

 

最近あった出来事なのですが、夫と長女(小学生)が連弾でピアノの発表会に出ることになりました。

夫はキチキチと練習に取り組むタイプなので、先生からご指導を受けるたびに、その課題にきっちり答えて仕上げてきました。

打てば響くから先生も面白かったのでしょう。先生は「パパに指導したくなってきちゃう!」と、夫に対する指導が熱くなっていきました。

 

先生「左手のベース音を響かせて」

→翌週、左手を響かせると、先生「ここは歌うように弾いて」

→翌週、彼なりに歌うように弾くと、先生「最後の弾いた後の手の上げ方をこうして(少しもったいぶるような感じ)」

 

こうして、発表会前最後の練習の後、夫と長女はピアノを弾いたあとの手の上げ方の練習を何度もやっていました。筆者としては、ピアノを弾くでもなくその仕草だけやっていたので、面白くて、久しぶりに大笑いしてしまいました。

 

ちなみに、このピアノの先生のレッスンに付き添いで行くことも、とても楽しいです。

彼女はとても明るくて、気さくで、褒め上手。その上誘い上手で、娘のピアノの練習中「この伴奏はパパママ弾いてみましょう!」と言ってきます。

夫も私も昔にピアノを経験していたのですが、弾くのは本当に何十年ぶり。

恐る恐るでしたが、久しぶりに弾いたピアノが楽しくて、先生のおかげでピアノ演奏の楽しさを再認識しました。

 

集中して取り組むこと

幸せを感じるというより、ストレス解消というか、ニュートラルに戻るという感覚に近いのですが、少し自分に負荷がかかることに取り組むこともいいですね。

 

まずは先ほども述べました、ピアノ演奏です。

ピアノ演奏するときは、譜面を読むことや自分の出す音に集中するので、他の余計なことを考えません。

昔だったら技術を上げることに一生懸命だったけど、今は技術よりも弾きたい曲を弾いています。昔退屈だった曲も、今弾くと楽しめたりするものです。そんな自分の変化も面白いです。

 

他には、車の運転。

車の運転も、全方向に注意を払って全集中して取り組むので(そうしないと事故しちゃう!)、それがいいのかもしれません。

また、大きく移動して場所を変えられるというところもいいですね。自分でいつでも移動できるというところが、自由度が高くて好きです。

ただ、行きは高揚感を感じるのですが、帰りはいつもの日常に戻る気がして、多少の切なさを感じますね。

 

あと、今のようにブログに書くこともそうです。

筆者はブログで書くことは、自分の中で嘘のない言葉をかけているか、ということをとても意識しています。

そうして書いている時間はとても集中していて、余計なことはあまり考えていません。

 

筆者の場合は上記のようなことが思い当たるのですが、夢中になって取り組めることというのは、人それぞれで異なるように思います。

 

夫の場合は、スポーツです。

昔は、仕事で遅くなった後にでも夜のランニングに行くような人でした。その話を聞いた当時は、タフなスーパーマンみたいな人だ、すごい!と思っていましたが、今になって思うと、それはすごいことというよりは、それが夫にとって合ったやり方なのだろうと思います。

今でも仕事後に地域のスポーツ団体で汗を流しています。日常的にスポーツをすることで、自身のストレス解消をしているようです。

 

長年事業を夫婦で営んでいた親せき宅に行った際、80代の大叔母が、巨大なレース編みのベッドカバーを持ってきました。

細かくてきれいな手編みのベッドカバーに驚嘆しましたが、大叔母曰く、

「当時始めたばかりの事業が大変でストレスがあったからね。こうやって編むことでストレス解消してやっていたんだろうね」

とのことでした。

そうやって皆それぞれ自分をコントロールして、乗り越えてきたのでしょうね。

 

もしかしたら仕事でも、これらの趣味みたいに、クリアに集中して取り組めればよいのかもしれません。

今の筆者は、自分は間違えたことはしてはいないか?これで正しいのか?と頭の中はぐちゃぐちゃしていて、趣味に感じられるようなクリアに集中する感じにはまだ至っていません。

仕事では自己満足では済まないので、どうしてもストレスはかかってきちゃうものなのかなと思いました。新参者なので、今はやり方を覚えることで精いっぱいです。

 

物を無駄なくつかうこと

筆者のマニアックな喜びなのですが、物を適切に使って、最後まで使い切れるときに喜びを感じます。

 

例えば、母親や親せきからお下がりの服とかをもらうことがあるのですが、その服が合わない場合、枕カバーやターバンに作り替えたりして、また再び物としてつかえたときに喜びがありました。

また、お下がりで頂いた茶道の茶器を、よく食べるようになった息子のお茶碗にするなど、用途を変えて適切な場所に物が収まるということも好きです。

すでにある物の中で工夫をするとか、見立てを変えてその時に合ったやり方で使うということに、小さな満足感を覚えるのです。

 

筆者のこの喜びの傾向は、表裏一体でもあります。

自分が「好きだ」と思える物を最後まで適切に使えた時の幸せは大きいのですが、そこまで思い入れのないものに対しても「もったいない」という思いが優位に立ってしまい、使い続けてしまうところです。

たとえば、何十年前にもらったミスドの弁当箱なんかも、今だにあります。五人家族なので、まれに使う機会もあるかもしれないと思いとっておいてあります。

まあ、家族の変化に合わせて、のんびり整理していければいいですね。

 

やりたいことが見えてきました

ここまで書いていて、自分が次にやりたいことが見えてきました。

それは自転車です。

 

今はまだ末娘が小学生なので、週末は習い事や家族でいることが大きいのですが、中学に入ると部活やら友人と出かけることが多くなります。

そうなったときに、自転車であちこち巡ることが自分をリセットできるアクションになりそうな気がしました。

 

なぜ自転車かと言うと‥

・自由であること。車ほど広範囲ではないが行きたい場所に行ける!

・経済的な持続可能性。車はガソリン・駐車場代かかるけど、自転車ならコストが低い!

・景色見ながら移動ができてかつ運動ができる!

・自転車仲間とつながれる(願望)

 

季節の移り変わりを感じながら、東京の街の変化を感じながら、サイクリングできたら筆者はとても幸せを感じられる気がします。なんだか楽しみになってきました。

 

今ある幸せ

サイクリングが楽しみになってくると同時に、切なさも少し感じました。

自分が思いっきりサイクリングを楽しめるころには、子どもたちはすっかり大きくなっているんだろう。子どもたちが大きくなって外の世界に旅立っていって、家族で過ごせる時間は少なくなってきてしまうんだな。

 

そう思うと、今家族でわちゃわちゃ過ごしている時間はかけがえのない貴重な時間。

家族でその日あった出来事を話しながら元気でご飯を食べることができる、これ以上の幸せはないのではないでしょうか?

今の状況に感謝です。

 

仕事も生活していく上で大事ですが、それにより大事なプライベートタイムを蝕んでしまうことのないように、ストレスケアしながらバランスとりつつやっていきたいなと心底思いました。

 

◇◇◇◇◇

 

今回は、自分が幸せに感じることを備忘として振り返りました。

やりたいことが見えてきたことはとても良かったです。ストレスがたまりすぎると、やりたいことも見えてきませんから。

自分が大事に思えることを大事にできる状態でいながら、仕事をすることが理想です。

その状況に一歩ずつでも近づけていきたいなと思っています。