歩歩是道場

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子どもたちと近所のごみ拾い#6~ゲーム感覚だから続けられるのかも~【江東輝地団】

次男の発案で、土曜の午後に一時間だけ、『江東輝地団』という名で近所のごみ拾い活動を行っています。

今回はその6回目の記録です。

始めた当初のワクワクした気持ちはありませんが、飽きずに淡々と続けています。

子どもたちがなぜ続けていけるのか。

その理由に、「ごみ拾いのゲームっぽさ」があるような気がしました。

 

 

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時間を意識するようになった次男

先週(12月5日)は雨天だったので中止にしました。

雨が止んだとしても、ごみが濡れていると収集の方が大変になってしまうので、朝の時点で中止判断をしました。

 

12月12日土曜日、午後2~3時、近所の公園のごみ拾いを行いました。

 

2時に集合場所に集まることにしているのですが、前回はこの会を取り仕切る次男がぎりぎりに家を出ていたので、それでよいのか話し合いました。

そのことを反省したのか、今回は30分前から軍手や袋やトングの準備をし始め、2時前には集合場所に行くことができました。

 

結局お友達はお休みだったので、次男(団長)、長男(副団長)、筆者の3人でやりました。

 

今回の場所は、普段からよく遊びに行っている近所の公園です。

ベンチ周りには毎度のことながらいろんなものが落ちていますね。

お酒の空き缶や、お菓子の袋、タバコの吸い殻‥。

あらゆるゴミの中でも、タバコが入っている缶は、特に残念に思います。

ただの空き缶だったらリサイクルに出すこともできますが、灰皿代わりに空き缶を使ってしまうとリサイクルに適しません。

 

公園周りの道路沿いの歩道のごみ拾いも行いました。

生垣の中に、カップラーメンの容器があったり、ほとんど残っているペットボトルのお茶がありました。

路上駐車の車中で食べてそのまま捨てていったのでしょうか。

生垣の道路側のほうがごみが多かったように思いました。

 

途中、神社でお参りをして、ごみ拾いを終えました。

今日のごみは、燃やすごみがレジ袋2枚分、要分別のごみがレジ袋1枚分でした。

レジ袋2枚分の燃やすゴミと、レジ袋1枚分の要分別のゴミの様子

 

当初の勢いとは違う新たなステージ

この活動も6回目になり、また一つ別の段階に入ってきた気がします。

始めた当初は「新しいことを始める」という高揚感があるものですが、その高揚感がなくなってきた段階です。

元々岩倉使節団に憧れた次男が「自分でも団をやりたい!」と言い出し、江東輝地団と名前でごみ拾い活動を始めました。

その当初の熱い気持ちが、ずいぶん落ち着いてきたように思います。

 

始めたばかりの高揚感がなくなったときに中だるみが生じ、自然消滅になるのではということも想定していましたが、今のところまだやっています。

幼稚園児の末娘は「今日は江東輝地団やらない」と言いだしたのに対し、次男・長男はYouTubeを見るのをやめてまでして出かけました。

 

筆者は、子どもたちがこの活動を続けるもよし、やめるもよし、と思っています。

なので、こちらから「今日江東輝地団でしょ!準備しなさい!」と言うことはないようにしようと、心がけています。

(これまで筆者自身のこうした言動で、子どものやる気をそいでしまった経験があるのです‥)

 

高揚感が落ち着いてきた状態で活動を続ける、という新しいステージにきた子どもたち。

熱い気持ちが落ち着いてきた今、ごみ拾い活動を行うことの別の理由が生じてきたように思いました。

 

ごみ拾いがゲーム感覚なのかも

子どもたち、ゲームやYouTubeが大好きなのに、大好きなものを中断してごみ拾いにでかけていました。

その理由は何なのでしょうか。

 

この会を大事に思っているということもあるかもしれませんが、筆者が思うのは、子どもたちは、ごみ拾い自体のおもしろさを感じているような気がします。

 

ごみを見つけるところ(=宝探し感覚)、ごみを集めていくところ(=目に見えてたまっていくところ)、場所がきれいになるところ(=達成感)、という具合です。

ぱっと見ではわからない生垣の中のごみなんかも、わざわざ見つけ出したりしているんですよね。

そしてたまに不思議なごみがあったりして、そういう偶然の出会いのおもしろさもあります。

 

子どもたちにとって、ある意味ゲームと近い感覚なのかも!

やっていておもしろいことなら、続けることができますよね。

 

これから寒くなって面倒になったり、別のやりたいことがでてきたり、思春期に入ったら恥ずかしさなんかも出てくるかもしれません。

ゲーム感覚の楽しさより、他のマイナス面が大きくなってしまったら、やらなくなることも十分に考えられます。

 

親としては、子どもたちの活動の様子を見守ることで、子どもたちの成長を感じられます。

また、こうして色々と思考を巡らすことができるのは、筆者自身の愉しみでもあります。

たとえやめたとしても、行動を起こしたことで得られたことがとても大きいので、次男がこの活動を始めたことはとてもよかったと思います。

 

◇◇◇◇◇

 

今回は、近所のごみ拾い活動の6回目の記録でした。

楽しんでやることが、結果として環境をよくすることにつながるというのは、物事を続ける上で理想的な形だなと思いました。